"メディアにきわだった知性や批評性を求める人が多いが、私はそれはおかしいと思う。
警察官や消防士にきわだった身体能力や推理能力や防災能力を求めるのがおかしいのと同じである。
地域の治安や防災はもともと、その地域のフルメンバーであれば「誰でもが負担しなければならなかった、町内の仕事」であった。
誰もが均等に負担すべき仕事であったということは、「誰でもできる仕事」でなければならないということである。
組織のつくりかたが適切であれば、そこにかかわる個人の資質にでこぼこがあっても、治安や防災のような「それなしには共同体が成り立たない社会的装置」はきちんと稼働するのでなければならない。
個人にきわだった身体能力や知性がなければ治安や防災の任に堪えないように作ってあるとすれば、それは制度設計そのものが間違っているのである。
新聞記者も同じである。
それは「誰でも基本的な訓練を受け、それなりの手間さえかければできる仕事」であるべきなのだ。
新聞やテレビはこれからそういう方向にゆっくり「縮んでゆく」ことになると思う。
事業規模が縮むということは、言い換えれば、「その気になれば、誰でも始められるレベルの仕事」になるということである。
新潟県村上市には「村上新聞」という地方紙がある。
そこを訪ねてみた話が村上春樹のエッセイにあった。
三人くらいで回している地方紙である。たいへん好意的に紹介されていた。
私はこういうタイプの新聞が日本列島すみずみにまで数百数千と併存している状態が過渡的にはいちばん「まっとう」な姿ではないのかと思う。"